ヤングケアラーをどう支えるか

良くも悪くも注目される「ヤングケアラー」?

この1~2年の間で急速に社会課題として注目され始めたヤングケアラー。

アスイクにも一時期マスコミからの取材依頼がひっきりなしに入るようになりました。

ヤングケアラーがにわかに注目される状況を目の当たりにし、少し複雑な気持ちになったのも正直なところです。

ヤングケアラーという子どもが抱える生きづらさの一側面だけに注目が集まりすぎていないか。

流行を追いかけるように、その波に乗らなければ置き去りにされてしまうという理屈で物事が進んでいないか。

その結果、当事者たちにとって何が必要かではなく、大人たちの都合で支援策が決められているのではないか。

そういった懐疑的な見方の一方で、これまで埋もれていた問題に光が当てられることは大事なことだとも思います。

子どもの貧困、不登校、ひきこもり、虐待といったように、社会課題としてラベリングされなければ、

「世論形成」⇒「現状把握(調査)」⇒「計画・政策」⇒「資源(お金・人)の投入」といったサイクルが生まれず、現状が大きく変わる流れは起きません。

結局のところ、ヤングケアラーに対する社会的な関心の高まりを、プラスにもマイナスにもできるのは我々社会の側であり、

プラスにしていくために何ができるのかを考えて行動していくことが大事なのだという結論にたどり着きます。

そのためにも、まずは「ヤングケアラー」という現象をできるだけ正しく認識していくことが必要です。

本記事では、臨床心理士・公認心理師の奥山滋樹氏の研修を土台に、ヤングケアラーの理解を深めていきますが、

奥山氏の発言そのものではなく、解釈や表現の主体はNPO法人アスイクであることを補足しておきます。

ヤングケアラーとはだれか

まず、ヤングケアラーの基本的な情報について確認しましょう。

ヤングケアラーとは、「本来大人が担うと想定されるような家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども」のこと。

厚生労働省の調査では、日本の中高生の5%前後がヤングケアラーに該当する可能性があるとされています。

ヤングケアラーという言葉自体は1990年代のイギリスで生まれ、研究や支援が進められてきました。

(アメリカでは、Young Caregiverと呼ぶようです)

「本来大人が担うと想定されるような家事や家族の世話」というのは、いったいどのようなものでしょうか。

この抽象的な概念をより具体化するために、国も下記のような図を示しています。

ここからもわかる通り、家事や家族の世話は多岐にわたり、それがヤングケアラーを捉えにくいものにしている要因の一つです。

その中でも私たちが現場で遭遇することが多いケースは、病気の親に代わって家事や精神的なケアを引き受けている子ども、

兄弟姉妹がたくさんいて幼い妹弟の世話をしている子どもたちですが、外国人労働者の多い地域では日本語が話せない親の

代わりに通訳やさまざまな申請手続きなどを引き受けている子ども、三世代世帯が多い地域では親に代わって祖父母の介護を担う

子どもが多いなど、一定の地域特性が見られるように思われます。

また、ケアをしている時間・日数・年数といった量的な側面、介護行為あるいは情緒的支援といったケアの種類、

子ども本人が感じている負荷の程度などはヤングケアラーか否かを判断する要素としては問われていません。

このような側面も、ヤングケアラーに対する現状認識、問題意識が人によってぶれやすい理由となっています。

中には、家事や家族の世話を手伝っている善良な子どもたちを問題扱いするとはけしからん、と考える人も実際にいるのです。

なぜヤングケアラーが問題なのか

改めて、なぜ上記のようなヤングケアラーが問題なのでしょうか。

実は「ヤングケアラー=必ず介入すべき問題」ばかりではない、という視点から共有していく必要があります。

先ほどの「ヤングケアラーはこんな子どもたちです」の図を見ていただければわかる通り、兄弟の世話をしたり、家事をしたり、

祖父母の介護を手伝うといった行為自体は本来問題とはなりにくいものです。

ここだけ切り取れば、それを問題視することが「けしからん」という感情もわかりますよね。

では、どういう場合にヤングケアラーは介入すべき問題となるのか。

そのことを考える一つの枠組みとして、下記のような「学校生活」、「社会的関係」、「心身の健康」といった面で子どもが置かれた現状や

将来へのリスクを捉えてみることが有効です。

出所:奥山滋樹氏研修資料

私たちが学習・生活支援事業などで関わってきたヤングケアラーに、多子世帯で未就学児の妹弟がいる中学生がいました。

彼女は部活には入らず、学校が終わるとすぐ家に帰って妹弟の面倒を見なければならければいけません。

周りの子どもたちが部活の話をしていても、彼女だけはその輪に参加することができなかったのです。

また、自殺未遂を何度も繰り返す親と暮らしている中学生がいました。

彼は、夜になると親が家を出て自殺をしてしまわないように、玄関に布団を敷いて見張る生活をしていたのです。

そんな生活をしている中、朝も起きられず、学校からは足が遠ざかり、たまに顔を出してもいじめられるため、

ひきこもりの状態になっていました。

これらのケースのように、子どもが他の子どもたちと同じような経験をしたり、精神的身体的に健全に生きることができない場合などに

ヤングケアラーは介入すべき問題になると考えることができます。

もう少し補足すると、ヤングケアラーであることによって、「生きる権利」、「育つ権利」、「守られる権利」、「参加する権利」といった子どもの権利が

侵害されているかどうか。子どもの権利擁護という視点が、どこからが問題なのかを判断する一つの材料になるでしょう。

出所:ユニセフウェブサイト https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html

また、ヤングケアラーには子どもの人生にとってマイナスの面だけでなく、プラスの面も混在していることがあり、

アンビバレントな性質があるということにも目を向けておく必要があります。

私たちのボランティアスタッフなどとして関わってくれている二人の元ヤングケアラーの記事をご紹介します。

母子家庭の5人兄弟で育った美紀さん

母子家庭の一人息子として育った清水さん

二人ともヤングケアラーの経験には辛い記憶もありながら、「やるべきことを全うした」、「目標の発見や精神的な強さにつながった」という

ポジティブな面も見出していることにも目を向けなければなりません。

ヤングケアラーを支援することの難しさ

このような問題と問題でないものの境界のあいまいさ、子どもの人生にとって良い面悪い目どちらもあるという両面性は、

子どもたちの周りにいる大人や友人たちにとってだけでなく、ヤングケアラー本人にとっても解決の糸口を見つけにくくします。

私たちが実施したヤングケアラーと接点を有する行政機関、民間団体対象のアンケートでは、下記の図のような課題を

ある程度共通して感じていることが確認できました。

出所:NPO法人アスイク(関係機関アンケートより作成)

特に「子ども自身の本音や困り感をどのように引き出すか」は、この問題の難しいところでしょう。

「当たり前のことをしているだけ」、「相談してもわかってもらえないんじゃないか」、「家族に迷惑をかけてしまうかもしれない」といった感情。

それに加えて、お手伝いをしていて偉いという周りのポジティブな反応や、子ども自身の相談するという経験の乏しさなどによって、

ヤングケアラー本人から明確にSOSを出してもらうことはかなり難しいと言わざるを得ないのが実情です。

この問題は、どう支援するかというよりも、その手前のどう見つけるか、つながるか、という大きなカベが立ちふさがっています。

本人から相談してもらうことが難しいのであれば、問題に気づき、適切に関われる周りの人たちを増やしていくことが大切です。

ヤングケアラーが生み出される背景と「解決努力」という視点

ヤングケアラーに気づいた周りの人たちがどのように関わっていけばいいのか、という問いに対する答えはそれぞれのケースごとに異なるでしょう。

ここでは、ヤングケアラーを支える人たちに必要な視点を一つだけ提示したいと思います。

そもそも、ヤングケアラーはなぜ生まれているのでしょうか。

三菱UFJリサーチ&コンサルティングのレポートでは、一つのモデルが提示されています。

このモデルでは、介護や病気、新しい家族の誕生などによって家族のケアニーズが増え、家庭が持っている時間的・資金的資源や周囲の支援との

バランスが取れなくなると、その崩れたバランスを保持するために子どもがケアを担うことによって、ヤングケアラーが生まれます。

つまりヤングケアラーとは、どうにか家族をまわしていくために、子どもが家族内のケアを担うという手段を採用した結果、生まれるものです。

そのように理解すると、ヤングケアラーに対する見え方は変わってこないでしょうか。

子どもに負担を押しつけている悪い家庭だ、子どもがかわいそうだ、何とか解決しなければならない。

ヤングケアラーが社会課題として広まっていく反作用として、無意識的に我々は上記のような視点で見がちですが、

その家族、子どもなりに何とかやりくりしていくための「解決の努力」としてヤングケアラーという方法を選ばざるを得なかった。

だとすれば、周りの私たちがとるべき行動は、その状況の批判や否定ではなく、ねぎらいや共感・受容から始めるべきです。

自分たちなりの精一杯の努力を否定する人に、子どもも保護者も信頼を寄せることはないでしょう。

もちろん一部の虐待ケースなどをはじめ、すべてのヤングケアラーが、この解決努力という考えに当てはまるわけではありませんが、

多くの場合、それぞれの解決努力に対する共感と理解、そこから生じる信頼関係があってこそ、

現状を変えるための代替案を一緒に探していくことができるのではないでしょうか。

<この記事に特に関連性のあるアスイクの事業>

仙台市ヤングケアラーオンラインサロン

この記事を書いた人

大橋雄介

NPO法人アスイク代表理事
社会福祉法人明日育福祉会理事長