能登半島地震で被災した子どもたちの支援に必要な視点 ~東日本大震災の教訓から~

2024年1月1日に発生した能登半島地震で被災された皆さまへ、心よりお見舞い申し上げます。

被害の全貌もまだ明らかになっていない状況ですが、今後この震災で被災した子どもたちを支援していくにあたって大事だと思われることを、拙著「3.11被災地子ども白書」をもとにまとめさせていただきます。

それが、2011年の東日本大震災の直後から活動をはじめた団体として、今回の震災に役立てる一つのことではないかと考えています。

当然ながら東日本大震災と同じことが今回の震災にそのまま当てはまるわけとは限りませんし、これから起きてくる問題を完全に予測することはできません。

ここで書き連ねることはあくまで一つの参考意見として、できる限り冷静かつ客観的に受け止めていただければ幸いです。

こどもの支援は中長期的な取り組みが必要

阪神淡路大震災の調査でも明らかになっていますが、経済環境の変化や家族友人関係の変化によって被災した子どもたちに引き起こされる精神面・行動面での影響は、震災直後よりもしばらく経ってから増加していく傾向が予測されます。

これには複合的な要因があると思われますが、まず震災で親が失業や減収に陥った場合、そこからの回復は簡単ではないこと。

さらに、今回の被災地域ではそこまで多くはないかもしれませんが、住宅ローンを抱えたまま住む家を失ってしまった場合は減収と借り入れの返済という二重の苦しみに直面する可能性があります。

その一方で義援金などの支援は時間とともに減少していくため、経済的な影響は子どもたちに対して時間の経過とともに重くのしかかっていくことが考えられます。

また、身近な家族親族を失った子どもや保護者が抱えるグリーフは、時間が経つにつれて癒えていく面はあっても、心に開いた傷はずっと消えることのないものだと思います。

東日本大震災で家族を亡くされた方の中には、10年以上経った今でも心に不調を抱え、日常生活に支障をきたしている方も実際にいるのです。

こういった点から、経済的な影響、家族関係等の影響によって子どもたちが抱える問題は、しばらく経ってから現れ(それは心の中に現れ、表からは見えにくいこともある)、数年以上にわたって続いていく可能性があります。そして数年という時間軸は、子どもの人生にとっては非常に大きなインパクトのある長さです。

おそらく今後仮設住宅やみなし仮設住宅が整備されていくでしょう。

東日本大震災で出会った方が「仮設に入ってからが本当の被災者だ」と仰っていました。

支援は減っていく中、先行きの見えない生活がいつまで続くかわからない。そういった不安やストレスは、同じ空間で生活をする子どもたちに当然影響を及ぼしていきます。

一般論としてですが、より弱い立場に置かれた子どもたちにほど、暴力などの形で負の感情のしわ寄せが起きる可能性にも目を向けなければなりません。

物資よりもお金の支援を

心のこもった物資の寄付を否定するわけではありません。震災直後の急性期など、何よりも食品や衣類などの物資が必要なフェーズもあります。

しかし、緊急対応のフェーズが過ぎた後は、モノよりも現金の方が有効な支援であると思われます。

そう考える一つ目の理由は、現金は被災された人、家庭の状況やニーズ、タイミングに応じて形を変えることができるものだからです。

裏を返せば、モノはそういった状況やニーズに合わない場合に、扱いに困ってしまうものになりかねません。

東日本大震災のときにいち早く子どもたちの支援活動をはじめた当団体には、さまざまな寄付物品が届きました。

書き込みがされた教材、使い古しや新品のランドセル。そういったものが当時私が暮らしていた家に山積みになり、足の踏み場もない状態でした。

心がこもった寄付物品だからこそ粗末に扱うわけにもいかず、かといって意外と必要とする子どもは見つからず、相当の期間にわたって行き場がなく困り果てた記憶が残っています。

また、東日本大震災では文房具の寄付も非常に多く届きましたが、必要性にかかわらず配布された結果、「一生分の鉛筆をもらった」という声や「子どもが消しゴムなどのモノを大事にしなくなった」といった声も聞こえてきました。

モノよりも現金の方が望ましいと考えるもう一つの理由は、過剰な物品の寄付は地元の経済にダメージを与える可能性があることです。

東日本大震災では、膨大な教材や本などの寄付が届いたため、地元の書店などが苦境に陥るといった話を耳にしたこともありました。

復興のプロセスには、地元経済の回復が必須です。

そういった観点から見れば、過剰な物品の寄付は逆効果となる可能性もありますが、お金の寄付であれば地元の経済にもプラスの影響を及ぼすことが期待できます。

できれば現地の団体を支援

人的な基盤やノウハウのある大規模なNGOなどだからこそできる支援もあるので、一概に語ることはできません。

ただ一ついえるのは、上で書いた通り、子どもたちの支援は中長期な取り組みが必要であり、その点からいえば現地の支援団体、あるいは今後も現地に根づいていく方針である団体を支えていくことが大切です。

また、東日本震災でか数多くのNPOなどが立ち上がり、そういったNPOなどの中には震災を契機に発展させた人的な基盤、関係機関とのネットワーク、ノウハウなどを活かし、その後の震災や新型コロナのパンデミックなどでもいち早く、相応の規模で支援活動を展開しているケースが多く見られます。

一つの震災を契機により災害に強い地域をつくっていくためには、今困っている子どもたちと、将来困るかもしれない子どもたち、そのどちらもサポートできるような支援を考えていく必要があります。

今回の被災地で活動している現地のNPOなどの情報は、助成団体(寄付を集めてNPO等に助成金を提供する団体)や、NPOサポートセンターのような中間支援組織が把握していると思われます。

妬みの言葉や被災者の分断に細心の注意を

東日本大震災で被災された保護者にヒアリング調査をした際、「今一番困っていることはなんですか」という問いに対して口を合わせたように仰っていたのが、周りからの妬みや偏見によって傷ついているという声でした。(注:ヒアリングは震災から4~6ヶ月後、仮設住宅に移行した時期に実施しています)

赤十字などから配布された新品の家電、マスメディアで報道される義援金の情報などを見た人たちが、「あなたは何でもタダでもらえていいね」、「お金たくさんもらったんでしょ」といった心無い言葉を投げつけ、それによって精神的に追い込まれている保護者が多くいました。

同じようなことは子どもの世界にもあったようで、学校で支援物資をもらった子どもが「お前だけが被災者じゃないんだ」と他の子どもに言われたという話も耳にしました。

また、テレビなどによく取り上げられる大規模な仮設住宅にはさまざまな支援が入る一方、すぐ近くにある小規模な仮設住宅は見向きもされず、被災者同士の間でも感情的な分断が起きていたという話もあります。

では、支援する側は何に気をつければこういった妬みや分断を防ぐことができるのかは、なかなか難しい問題です。

ただ、現地の被災者の状況をよく知っている団体か、中立性や公平性の視点を持っている団体か、などを寄付先の選定基準とすることはできるかもしれません。

以上、東日本大震災の教訓から、今回の震災に活かせそうなことを、4つの観点からまとめさせていただきました。

時間をかけるよりも早く記事を書くことを優先したため、拙い表現が多いことをご容赦ください。

伝えたいことをすべて書ききれていないもどかしさもありますが、能登半島地震で被災された方、子どもたちのことを思う方々にとって、一つでもお役に立つことがあれば幸甚です。

この記事を書いた人

大橋雄介

NPO法人アスイク代表理事
社会福祉法人明日育福祉会理事長