2008年頃から日本でも「子どもの貧困」が注目され始め、10年以上が経ちました。
ほとんどの方は「子どもの貧困」という言葉を聞いたことがあると思いますが、どんな問題なのか他人に説明してほしいと言われたら、自信をもって説明するのは難しいと思われる方も少ないではないでしょうか。
実のところ、この問題に10年以上向き合っている私たちですら、子どもの貧困問題をきちんと説明するのは難しいと感じています。
説明が難しい理由や背景も含めて、「子どもの貧困とはどんな問題か」という問いに対する私たちの考えをまとめてみました。
子どもの貧困はグラデーション
厚生労働省の公表では、日本の子どもの相対的貧困率は13.5%です。
これをわかりやすくするために、“7人に1人が貧困”といわれることが多いですね。
7人に1人というのは、下記の図2のように“真ん中の半分以下の所得で生活している子どもたち”。
相対的貧困の定義に基づいて算出された割合で、あくまで定義上の数字です。
相対的貧困ラインより上の所得だから問題がない、相対的貧困ラインより下だから問題を抱えている、というわけではありません。
この辺りは、たとえば発達障がいもそうですが、グラデーションとしてとらえる必要があり、どこかを境目にして明確に問題・問題外が線引きできるものではないということを理解しておく必要があります。
では、なぜ相対的貧困の定義が必要かというと、上の図1のように過去からのトレンド(推移)を把握したり、下図3のように他の国と比較することができるからです。
日本の子どもの貧困率は、他の先進国と比較しても高いというのは、この問題を聞いたことがある人には周知の事実といってもよいでしょう。
お金に余裕がないと、何に困る?
では、普通の人の半分以下程度のお金で暮らさなければならない子どもたちが増えていることは、なぜ問題なのでしょうか。
おそらく多くの方が思いつくこととして、進学や習い事などの教育の機会から排除されてしまうことです。
それによって、人生を送る上で必要な知識や経験を得る機会を失ってしまうという問題があります。
失うのは単に知識や経験だけでなく、意欲や自己肯定感といった内面的なものにも及ぶのもよく聞く話です。
「どうせムダ」、「どうせ自分は」。
そういった言葉を頻繁に口にする子どもたちが多くいます。
学費がいくらかかるとか、どのくらい生活費がかかるかとか、どんな支援があるかとか、自分で調べなくちゃならなかった。友達は受験勉強だけに集中していればいいのに、なんで自分はそんなところまで考えなくちゃいけないのか考えると、ある時もうどうでもよくなった。
貧困の当事者経験のある若者の言葉
意欲や自己肯定感の低下は、教育の機会からの排除だけからではなく、さまざまな体験・経験からの排除によってももたらされます。
たとえば、私たちが関わった中学生から、こんな悩みを相談されたスタッフがいました。
修学旅行の計画をグループで話し合ったとき、テレビで紹介された有名なお店にランチを食べに行こうと盛り上がった。そのランチは、2,000円以上するんだけど、自分はそんなお金とても出せない。でも、自分だけ行けないなんて言えなくて、どうしたらいい?
当時中学生の子どもの言葉
このような経験が場面を変えて何度も繰り返されることで、様々なことに対する意欲や自己肯定感が失われていきます。
意欲(モチベーション)とは、何か投じればそれに見合う対価が返ってくるという期待を前提としたものです。
他の子どもと同じことをするにも、自分はより多くの時間や労力などを投じなければならない。
あるいは、そもそも他の人と同じように投じれるものが自分にはない。
そんな経験が積み重なることで、意欲や自己肯定感といったものが損なわれていきます。
それを象徴するように、児童養護施設出身の若者は下のように語っていました。
何か大きな出来事があって、心が折れるんじゃない。小さなあきらめが積み重なって、ある日突然動けなくなる。
児童養護施設出身の若者の言葉
経済的な支援を提供すれば、この問題はなくなるのか。
子どもの貧困問題は、お金に余裕がないことによる教育や体験などの機会からの排除、それによる意欲・自己肯定感などの低下の問題。
そうだとすれば、現金手当や給付型奨学金などの経済的支援(あるいは塾や習い事などの代替サービス)を充実させていくことで、この問題は解決することになります。
しかし、確かに経済的支援は大事ですが、果たしてそれだけで子どもたちが抱える問題が解決するのか。
私たちの活動の現場では、経済的支援だけでは十分ではない子どもたちと出会います。
うつ病で家事ができない母親のかわりに小さい弟妹の面倒を見なければならないから、授業が終わったらすぐ家に帰らなければいけない。学校で部活に入ってないのは、自分だけだと思う。
当時中学生の言葉
児童養護施設から家に戻ってきたが、親とは顔を合わせればケンカばかり。ストレスから学校でも粗暴な行動や言動が多く、問題児扱いされている。学校から親に連絡が入ると、また親に怒られてケンカになる悪循環。しばらく学校にも行ってないし、家にも居場所がない。
当時中学生のケース
自殺未遂を繰り返している保護者。夜になると家を出ていって行為に及ぶことが心配で、子どもが玄関に布団を敷いて見張っている。そんな生活を繰り返している中で、次第に朝も起きられなくなり、たまに学校に行っても、いじめのターゲットにされるので、学校には行かない。
当時中学生のケース
学習支援の教室が終わっても、家に帰らないでコンビニのトイレなどにこもって時間をつぶしている。リストカットを繰り返し、拒食症の症状もひどくなっている。義父から性虐待にあってきたことを誰にも言えなかった。
当時中学生のケース
親は自分のことなんか、興味がない。SNSで知らない男の人と知り合うのは危ないってわかってるけど、さみしいよりはずっとマシ。
当時中学生の言葉
姉は毎日ご飯をつくってもらえるが、弟の分は出てこない日がある。習い事や洋服なども、姉だけがお金をかけてもらえる。母親は以前の配偶者とDVをきっかけに離婚しており、最近弟がその元配偶者に似てきていることが、母親はどうしても受け入れられない。
当時中学生のケース
(※各事例はプライバシーへ配慮し、一部修正等を加えています)
直接的にお金にかかわる問題だけでなく、家族の関係性やこれまでの成育歴など、複雑で多様な問題が背景に潜んでいることが珍しくありません。
下図4のように、貧困とは、お金の有り無しに加えて、困りごとの有無も含まれた概念です。
“見えにくさ”を理解することが大事
さらにこういった家庭の中の問題は、外から“見えにくい”という特徴があります。
この「見えにくさ」は、子どもの貧困問題を理解する上で大事なキーワードです。
ふとした時に「実は…」と家庭での問題をにおわせてくる場合もありますし、何気なく立ち上がった時にまくれた服から痣が見える、という場合もあります。
上で紹介した事例のほとんどは、子どもや親たちと関係が深まっていかなければ見えてこないものばかりです。
大人は信用しない。
当時中学生の言葉
上記のように根深い不信感を大人や社会に対して持っている子どもたちが多いことも、背景にある問題を見えにくくする一つの要因です。
これまで、大人たちにSOSを出しても助けてもらえなかった。その蓄積が、「信用しない」という感情につながってしまいます。
それ以外にも、貧困状態にある家庭が遭遇しやすい次のような状況も見えにくさの背景です。
見た目ですぐ「貧困」とわかるような子どもはあまり多くなく、服装もほかの子どもと変わらないし、スマホを持っている子も多い。
保護者がいくつも仕事を掛け持ちしていて、あるいは病気のため、地域活動や学校行事には参加できない。
子どもも不登校で学校でも家庭の状況が把握しにくくなっている、など。
子どもの貧困問題にアプローチするための3つの視点
ここまで、子どもの貧困はお金に余裕がないことによる機会や内面の問題に加えて、お金だけでは解決しない複雑な困りごとも内包していることをお伝えしてきました。
では、この問題を改善していくために、私たちはどのような視点を持つべきでしょうか。
まず必要なのは、機会の平等の視点です。
子どもたちが学びたいこと、他の子どもたちと同じようにやりたいことを経験できるようにしていくこと。
さまざまな機会を生かすためには、精神的な支えという視点も欠かせないと思います。
これまでの積み重ねから「どうせムダ」、「どうせ自分は」と、機会があってもそこに一歩踏み出すことができない子どもたちも少なくありません。
気持ちを受けとめてくれる人、一緒に考えてくれる人、目標やあこがれといったロールモデル的な面から導いてくれる人。
子どもたち一人ひとりを支える人間関係が豊かになっていくことが、機会を生かすことにつながっていきます。
さらに大事なのが、環境の改善という視点です。
ここでご紹介したように、子どもの背景には自分だけでは解決できない複雑で見えにくい問題が潜んでいることが少なくありません。
子どもや家庭と関係を築きながら、背景にある問題に気づき、子どもの生活の土台となる環境そのものから改善していくこと。
ここが抜け落ちてしまえば、いくら機会や精神的な支えを提供しても、子ども本人が「自己決定的な人生」を歩むことは難しい場合も多いと思います。
アスイクの学習・生活支援事業の特徴
NPO法人アスイクが運営している学習・生活支援事業は、こういった子どもの貧困の現状・背景を踏まえて、設計しています。
機会の平等という点では、学習や進学の支援に加えて、体験の機会づくりを実施。
学習支援は平日の夜を中心に宮城県内36ヶ所(2022年時点)で開催し、限界はあるもののできるだけ多くの子どもたちが参加できるように拠点を展開しています。
学習支援だけでなく、地元の企業や他のNPOなどと協働し、身近に働く大人のロールモデルが少ない子どもへの仕事を知る体験、夏休みどこにも行く予定がない子どもへのキャンプ体験など、さまざまな機会を提供。
こういった協働は、企業などで働く方に子どもの貧困に当事者意識を持っていただいたり、より現状を知っていただくための機会にもなっています。
次の精神的な支えという点では、多種多様なボランティアに子どもたちと関わってもらっていることが特徴です。
大学生が7割程度を占めますが、それ以外にも社会人、主婦、シニア、高校生など、多様な年代の市民と子どもたちが出会うことで、子どもたちが自分自身の気持ちを受け止めてもらったり、さまざまな価値観に触れたり、ロールモデルを見つけることができるようにしています。
多様なボランティアが同じ方向を向いて子どもたちと関わるための取り組みの一つとして大事なのが、バリュー(価値観)の共有。
現在のバリューは「受容」、「共に考える」、「挑戦」、「楽しむ」という4つですが、意欲や自己肯定感が下がっている子どもたちと関わるうえで、どれも大事な価値観だと私たちは考えています。
最後の環境の改善といった点で特徴的なのは、子どもたちと関係性が深まることで見えてくる家庭内の複雑な問題を拾い上げ、対応していくために、ソーシャルワーカーの専門チームを配置していることです。
私たちのソーシャルワーカーの役割の中でも重要なのは、見えにくい問題を「発見」し、子どもや保護者を「代弁」して地域の専門機関などにつなぎ合わせていくこと。
そのためにも、日ごろから学校や児童相談所をはじめ、さまざまな関係機関と連携体制を地道に築いています。
多くのボランティアや企業、行政などの関係機関と協働しながらこの問題に取り組んでいくこと自体が、見えにくい問題にみんなが気づけるような社会をつくっていく、困難を抱えている子どもや保護者ほど支援とつながりにくい状況を突破していくことにつながります。
また私たちは、この学習・生活支援事業だけでなく、フリースペースや宅食・フードバンクなど、さまざまな切り口の事業をつくることで、より多くの家庭・子どもとつながっていくための工夫をつづけています。
こういった地域づくりの視点が、さまざまな取り組みの土台として大事だと思います。
子どもの貧困は、誰にとっての問題なのか。
最後に、子どもの貧困問題とは、誰にとっての問題なのかを考えたいと思います。
当然子どもにとっての問題じゃないか、と思われるかもしれませんが、本当にそれが共通認識となっているかは改めて問い直した方がよいのではないでしょうか。
子どもの貧困問題と「貧困の連鎖」というキーワードはセットで語られることが少なくありません。
貧困状態で過ごした子どもは大人になっても貧困に陥る確率が高い。
実際そういった現実はあります。
それによって、税収が下がり、社会保障費が増加してしまう。
日本財団は、貧困の連鎖を放置することで、1年で2.9兆円もの社会的損失が生まれると試算しました。
だから子どもの貧困は社会全体の問題で、みんながその解決に向けて取り組まなければならないという論調は、決して間違ったものではありません。
しかし、今を生きる子どもの視点があるかどうかも、忘れてはならないと思います。
子どもは将来の大人でもあるし、今この瞬間を生きている子どもでもある。
将来貧困にならないように。きちんとした教育を受けて生活できる所得を得られるように。納税者になれるように。
それ以上に、子どもの生きる・育つ・守られる・参加する権利は保障されているのか、子どもは健康で文化的な最低限度の生活を送ることができているのか、身体的・精神的に幸せに過ごせているのかに目を向ける必要があります。
知らず知らずのうちに、教育を受けていい仕事に就いて社会に貢献するというストーリーに子どもたちを当てはめてこの問題を捉えていないか、問い直しながら、子どもの貧困問題に当事者意識をもっていかなければなりません。
ここで書いてきたことは、子どもの貧困を理解する切り口の一つでしかありません。
たとえば健康や発達上の問題、高校中退・ひきこもりとの関係、地域の歴史的背景にまつわる問題、ひとり親家庭特有の問題、法的な整備など政治的な動向からの理解など、ここでは言及していないこともたくさんあります。
ぜひ、皆さまがさらにこの問題に関心を持ち、理解を深めるキッカケとなれば幸甚です。
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